~第3回「鹿児島から都市対抗への歴史」~
前回、「都市対抗への道のり」について書かせてもらいましたが、今日は鹿児島の社会人野球の「都市対抗」での歴史について書いてみたいと思います。
以前にも書きましたが、鹿児島からの本戦出場は、昭和5年の第4回大会に「鹿児島鉄道管理局」が出たのが、初めてとなっています。
このときは、初戦で「全神戸」に延長戦の末、8-9で敗れています。
その後、昭和30年に25年ぶり2度目の出場を果たすも、またもや初戦敗退。
初勝利は、昭和41年5度目の出場で「日本鉱業日立」に8-5でとなりました。
それから、昭和54年まで6回の出場(全て「鹿児島鉄道管理局))で2勝6敗の全戦績となっています。
プロ野球選手も輩出してきた、名門鹿鉄野球部でも2勝。いかに都市対抗で勝つことが難しいかが分かる数字です。
鹿児島からは、昭和54年を最後に34年間、「都市対抗」への出場がありません。
僕らDWは、この昭和54年以来となる鹿児島からの「都市対抗」出場を目指しています!